15分文学@AKAI

今考えてることと、15分で書いた文章を時時載せてます、それからあとは心の声だだもれ日記

アップル社との戦いの記録

ども、アカイです。

今朝、起きたら携帯の画面がまったく動かなくなっていました。どうやら電源は入っているようで、siriは動くのだけど、画面が真っ暗。電源をきったりつけたりしてもリンゴのマークすら出てこない。あわててソフトバンクへ。対応してくれたおねーさん、ちょっとロックな見た目と裏腹に「あ、はいー大丈夫ですよ、こちらです」とさくっと対応。百戦錬磨なこなれた感じでよかった。が、そんなおねーさんが何度も何度も強制的に電源を入れる方法を試しても、まったく無反応なマイiPhone。「おかしいですね、いつもならこれで電源入るのですが。。こんな症状初めてですよ。。」おねーさんが初めてだったら、アカイにわかるはずもなく。。困った!と二人でうなる。「アップルに直接電話して聞いてみた方がですね。」とのことだったので、すぐ自宅に戻り、アップルへ電話。ここからアップルとの長い戦いが始まる。

 

「はい、お電話ありがとうござます」と、とても丁寧な男性が出る。その人に色々事情を説明すると、「私が同じような状況でしたら、本当に困ります。状況が回復するように最後までサポートいたしますので、ご安心くださいね」おおおお、優しい言葉。ありがとう。感謝。で、そのお兄さんの支持通りに色々強制終了的なやつとか強制入電できなやつとかやるんだけれども、まったくダメ。どーしちゃったんだよー。。と、落ち込みを隠せなアカイ。するとお兄さん「復元してみましょう」と、新たな案を。これはiPhoneを工場出荷時の状態に戻すことらしく、中のデータはすべて消えてしまうけれど、現在の状態は治る可能性があるからとのこと。他に選択肢もないので、やってみることに(さよなら思い出の写真たち…泣)まずパソコンのiTunesを起動させてそれとiPhoneをつなぎ、そんなこんなで復元の手順をふみ、あとは待つことになる。「30分ほどかかると思いますので、復元ができましたらまたお電話ください。初期設定などまたやりなおさなければならないので」と、受付番号を言われ、次かけるときにその番号を言ってくださいねとのこと。さわやかなお兄さん、ありがとう。でもここまで来るのに早くも20分ほどかかり、ちょっとだけ疲れてくる ~一回戦終了~

 

二回戦は激しかった。「はい、お電話ありがとうございます」と今回出た男性もさわやか。番号を伝えて簡単にさっきの経過を報告。「私が同じ状況でしたら、本当に困ります。最後までサポートしますので、ご安心くださいね」あれ?さっきもこれ聞いたような…あ、マニュアルか!感動したのに!くそう!「復元後、画面は点きましたでしょうか?」マイiPhoneを見下ろし、色々ボタン触れども、まったく画面はつかず真っ暗のまま。「いえ、全然つきません。。」「えーそうなんですね…てことは…」と、お兄さん色々質問してくる。これやりましたか?こんな感じでやりましたか?そしてうなる。「ううーん、復元で治らなかったということは、中身の方の問題ではなかったということかもしれないですね。。容量が重たすぎて故障している、とかであれば復元で治るはずなので…となることこれは本体の修理になると思いますね」とお兄さん。復元したのにーー!データとさよならしたのにーーー!!しゅん。落ち込むアカイに追いうちがかかる。「修理となると、料金がですね、だいたいマックス3万円ほどかかりますね…」ちょーーと待った。3万!?3万は大金です。落としてもいないし、水に入れちゃったわけでもない。普通に使ってただけなのに、いきなり画面がつかなくなってそれで修理で3万。。ちょっと待ってよ天下のアップルさん。iPhoneは使いやすいし好きでもってるけど、まだ1年しかたってないのにそれはないよーー!と、お兄さんに泣きつく「そうですよね。。携帯も人間と一緒で、少しずつ病気になるようなものなんですね。今回もそういったケースで、つもりつもって、画面がつかなくなってしまったのかもしれませんね…」いやいやいやそういう話はいいですから!思わず突っ込みそうになる。「あの、でも本当に困るんです。自分の過失で思い当たることがまったくないのに、いきなり壊れて、それで修理です3万ですっていうのはちょっと…アップル製品好きなのにとても残念です…」最後の泣きつき…本当に3万で直さなきゃならないなら、二度とiPhoneにしない!むしろ携帯持たない!と、少々無茶なことも思いながら。するとお兄さんが「あのですね、私どもにスペシャリストのチームがありまして、そちらでしたら私よりもいいご提案ができるかもしれません。もしお時間あれば、おつなぎしたいのですがよろしいでしょうか?」とのこと。スペシャリスト!つまり、上司的なことなのかな?とにかくなんとかしてくれるなら、スペシャリストでもコラムニストでもフェミニストでもなんでもいい!お願いしますと伝える。ここまでで20分くらいかな~二回戦終了~

 

そして待つこと5分。決勝戦です。「お待たせいたしました!」と出てきたスペシャリストの方。話し方も聞き方も、確かにスペシャリストっぽい。さっきと同じようにこれまでの過程を確認。やはり今の手元にあるiPhoneは修理以外に方法はないことが再確認。「私どもの方でもなにかできないかとは思うのですが…ちなみにソフトバンクさんでは何か保険など入られていますか?」それが…入ってないんです。。だって、今まで携帯なんて壊れたことなくて…。しゅん…いざとなったらやはり保険か。勉強になりました。そして、もう一度お願いしてみる。「本当に、何もしてないんです。落としてもないし、乱暴に扱った覚えもないし。まだ1年くらいしかたってないのにですし、それで3万はちょっと…。。」自分の過失ならまだあきらめがつくけど、なにもしてないのにっというところであきらめきれず。するとスペシャリストの方「そうですよね…私もなんとかできることがないかと思っております。少々お時間いただけますか?別のものとも相談してまいりますので」もうこのさい時間はどれだけかかってもいい!少しでも状況が改善してくれ!ってことでまつこと5分以上。ふたたび出てきたスペシャリストの方は、神でした「今回ですね、一年ももう経過していますし、本来ならば適応外ではあるのですが、せっかく楽しく使っていただいているということですし、突然の故障ということで、今回に限り無償で交換させていただきことができることになりました」ちゃっちゃらーーーーーーーーー!!!!!脳内で鐘が鳴った。スペシャリストさん。本当にあなた、スペシャルです。たくさん待ったかいがあった。その後交換方法やら、データの移行方法やらの説明をしてくれ、最後までアフターケア120点だったスペシャリストさん。本当に感謝。携帯会社って、契約するときはあれもこれもつけてくれるけど、加入したあとのケアで感動したことなかった。それが携帯会社ではないアップル社に感動するとは。さすがです。「これからも楽しく使われてくださいね。お時間いただきまして、どうもありがとうございました」と、交換の際に何かあったときのために自分の内線番号まで教えてくれたスペシャリストさん。ありがとう、次もまたiPhoneにします。

 

あーーーーー。災難だったけど経験値あがった!以上、戦いの記録でした~

今一番客観的にニュースを報道している媒体ってなに?

書けるときに書いておこう、そうしよう。アカイです。

今週は次の仕事が始まるまでの、社会人人生初の無職週間。満喫しております。

普段ほとんどテレビを見ず、ラジオやポットキャスト派なんだけれども今日は久しぶりにテレビをつけてみた。

朝のテレビって不思議だなーなんでこんなくだらないエンタメに時間を費やすのか。誰と誰が別居してたとか、路上でちゅーしてたとか、復縁したとか、浮気の過程とか、そんなことを延々とやっている。延々と。って、どーでもいいけれど、「延々」って言葉を考えた人天才だなって個人的に思うのです。「延々:長く続くさま」えんえんって、本当になんだけずーっと続いてくような、そんな印象がある。えんえん。と、それはおいておいて。あとは、料理に関することとかも多い。こうやって切って味付けするとほら5分でお弁当のおかずが!じゃーん!みたいな。いや、いいんです、いいんですけれども…きっと見てる層と内容がマッチしているから成り立っているんだと思うので。でも、それでも、もっとなんかがんばってよテレビ局!と思ってしまったのです。

むむむなんかニュースが見たいと思って今度は新聞をめくってみる(沖縄は新聞社は2つしかないので、基本的にはどの新聞を読むかは二択)と、今度はなんだか片寄っているような気がする記事も多い(今は基地問題など毎日のように一面の取り上げられている)。いったいどうやったら客観的に日本や世界のことを知れるんじゃー!?

ってことで、頑張ってBBCとかABCとかすらっすら読めるようにもっと頑張ろうと思う。

世なのかの事にもっともっと敏感でいたいけど、そう思えば思うほどハテナにまみれてく。ううーんfucked  up。どうしたらいいんだーとりあえず日経でも読むかー

全ての人にhava a god day

将来の夢はなに?と問われること

 

what's up? アカイです、こんばんは。

 

今日は沖縄では入学式を迎える小中高がたくさん。小学校の入学式なんて、もう20年くらい前の話なので記憶があるといっても断片的ですが、不安でいっぱいだったな。

 

担任の先生がことあるごとに言う、「正座」というかけ声。私の通っていたカトリック系の幼稚園での正座とは、両足を折り曲げて床に座り両手をひざの上において目をつぶる状態だった(これをひざまづきというのは沖縄だけ?)ので、先生はなんで今椅子に座っているのにまたこの上に正座させるんだろうと思いながら椅子の上で私の知っている正座をしていて。結局先生の意図していた正座は、椅子に普通に座った状態で背筋を伸ばして両手を膝の上におくことだったのだけど、私以外の子はほとんどみんな普通にできてきて、はじめて会った隣の子に「まちがってるー」と指摘されて、死ぬほど恥ずかしかった。(同じカトリックからきている子はクラスに私一人だった。超マイノリティ。)

 

そんな座り方一つで大きく戸惑うくらいの年齢の時から、私たちがよく聞かれてきたことの一つ。「大きくなったら何になりたい?」「将来の夢はなに?」

特に、卒業式や入学式、誕生日など節目の日にはよく聞かれる。時には大勢の人の前で発表しないといけないこともある。あらめて考えると、ものすごい質問だなーと思うのです。今同じ質問をされたオーバー20の成人が、どれだけこたえられるでしょうか。ううーん考えたくない。。そもそも、大きくなったらってどれくらい?何歳くらいから?そもそも夢ってなに?パンやさんです、とか宇宙飛行士です、とか言えば、おおーって喜ぶのはそれを問いかけた大人だけな気がする。「まだ分からない」と言えば、ほら何かあるでしょうといわれ、あれはどう?これはどう?こういうのなんかいいんじゃない?と勧められた末に選んだ「じゃあ、先生になる」というと「さすがね~将来楽しみだね」なんてやりとりが交わされる。その夢は、もはや夢なのか。いやきっともう本末転倒の気しかしない。

そんなこんなやりとりは節目に幾度となくあり、中学3年で高校を選ぶとき、高3で進学するか就職するかを決めるときなど、大きな顔をして必ずまたあらわれる。夢はきっと、ある程度の希望とわくわくを伴って、自分の可能性を広げるはずのものなのに、手持ちのカードの中から答えが探せないときはこんなに追いつめてくるものかと、ぐぐぐ。。となったなーと振り返り振り返り。

 

夕方のスーパーで、「卒業式のときは言えなかったけど、今日はちゃんと消防士になりたいって言えたからハンバーグにしようね~」と買い物をしていた式典帰り風の親子を横目に、何になりたいかを問うより、なれるものがこんなにたくさんあるということを大事にしたいと思うそんな夜にだ。

文字おしゃべりby myself

 ども、アカイです。

 2015年になるときに、今年は3つ何か新しいことを始めると決めました。

ということは平均して、4か月に1回ペース。ふむ、簡単そうに見えるけど、

まったく新しいことって結構色々悩むのだ。

それでもなんだかんだで、4月から新しい仕事に就けることになったたので、1つ目はクリア。2つ目を何にしよーかなーと決めあぐねていたのです。

そんなとき、家庭教師の生徒に公民を教えていて言われたこと

「先生、国民審査ってダメと思う裁判官には×を書くんだよね。イイネと思ったときは○を書かなくてもいいの?」

ふむ、そーか。そーだよね。イイネには○しなさい、ダメなら×しなさい、分からなかったら空白でいいですよ、ならわかる。それなら一般的なテストでもよくある。

でも国民審査って、空白=イイネというルール。ということは、なんだか「この人、認めるよ?いいよね?おっけいしとくね?」みたいに、イイネ前提でことが進められてる気がする。それってなんだか違和感MAX。モヤっとした。

そんな風に、「ま、それはそれか」ってさらっと流すことができることを、あえて残しておくのはなんだか価値があることにような気がしてこういう形で2つめの新しいことを始めることにしたのです。

ということで、うにげーさびら。(よろしくお願いします)

akai