夫婦別姓の最高裁判決で考えたこと
こんばんは!アカイです。
はーーーーーーーーー。今夜はかなりホットな(アカイ的にですけど)
話題、最近判決があった夫婦別性に関するwhat I feelです。
そもそも日本ではあまり裁判って身近なものではないなと思うのです。
アカイだって、中学2年のときに学校でインターンシップがあって、
そのときは「え、裁判官って何が正しいか決める人?ちょーかっこいい!」と思って
弁護士事務所にインターンに行き、そこの体験のひとつとして裁判所の傍聴に連れて行ってもらっていなかったら、
もっと自分に遠い話だと今でも思っていたと思う。
日本だと、裁判する=ものすごい大事。というイメージが強いと思うのです。
でも国が変わってアメリカとかになると、もっとバンバン裁判してる感じ。
なんかあると、じゃあ法廷で会いましょう!的な。まあそれは置いておいて。。
今の日本では、結婚したら夫婦はどちらかの性に統一しなくてはいけません。
男性の方の性にするか、女性側の方にするかは自分たちで決められるけれど、とりあえず同じ性にしなくちゃいけない。
今回のこの裁判は、
「必ず同じ性にしなくちゃだめ?それ憲法に違反してない?性はかならずしも同じじゃなくてもいいよって認めて!」
というものでした。
性をどっちのものにするか選べるとはいっても、90%が夫側のものに変える、というのがなんとなーくあたりまえになっている今。
旦那さんの名字に代わることに喜びを覚える女性もいる一方で、
バリバリのキャリアウーマンで仕事のときに名前変わると色々めんどくさいから変えたくないなあと思う女性がいるのも事実。
法の下に人はみんな平等といわれているけのに、結婚することでどちらかは自分の性を失わなければいけない。
それは果たして本当にオッケーなのか。
裁判官のトップ中のトップである15人の最高裁判官たちが、どんな風に結論を出すのか気になっていました。
そして結論からいうと、夫婦別姓は認められませんでした。
やはり結婚するのだったら、どちらか一方の性を選んで、二人とも同じ性を名乗るべきと、そういう結論になりました。
残念。
めっちゃ残念。
判決の理由としてはざっくりいうと、夫婦は同じ性をなのることによって、家族や親族間のつながりと感じる、深めることができるから。などなど。
うーーーーん。本当にそうなのかな。
性が同じでなくても家族は家族だし、性だけがすべてじゃないと思うのだけれど。
最高裁判官15人の中にも、この判決に反対している人たちがいました。
岡部さんをはじめとする、女性の裁判官3人もそうでした。
岡部さんは、
「性によって家族のつながりを感じることがある、というのが疑問。女性も社会に進出している今、性が変わることで生じる不利益のために、婚姻という選択をとらない人々もいるのに、これをよしとしていいのか」と。
ほーーーーう、確かに。
まあ、なんというか、結婚しても職場では元の性のまま使っている、いわゆる通称の性の人は全然めずらしくない。
でも、通称はあくまでも通称であって、正式な書類や手続きでは使えない。
アカイは自分の名字が使えなくなったら、とっても悲しいなあと思う。
なんだか、自分の一部がどこかにいっちゃったような気がして。
もちろん感じ方はひとそれぞれだけれど。
今回の裁判の判決は、夫婦別姓を認めないのは違憲ではないとしつつも、これからは時代に合わせて、国会などでもっと考え行くべし、ともしているみたい。
そうだねえ、そうしよう。
自分たちのことなんだから、自分たちでももっと考えないとなあ。
個人的な意見としては、性が同じだろうか違うだろうか好きな人はもちろん好き。
性が同じになることによって、嬉しいと感じる人もいるだろうけど、アカイ個人としては自分の性は好きだからできればそのままずっと名乗っていたい。
だから、「そのままでもいいよ」と言われる方がうれしい。
なんでもかんでも自由をくれということがいいことだとは思わないけど、名前って生きているなかで一番使う言葉だと思うから、それは自分で選べたらいいなと思う。
そしてちょっと別件も。
最高裁判官って、一度なれば辞めさせられることってほとんどない。
でも、ある物事に対して正しいか間違っているかどうか判断するポジションにいる、日本で一番上のポジションにいる人たちだ。
彼らが間違うと、日本が間違う可能性だってある。
でも、彼らだって間違えることはある。
人間だから。
だから国民には、彼らがもしだめなやつだと思ったら罷免するチャンスがある。
衆議院選挙のときだ。
この時に、やめて欲しいなと思う裁判官の名前の上には、×を書くことができる。
たぶん普通だと「えーそんなこと言われても。。。ていうかこれなに?なんでもいいや」
みたいな気持ちで、よくわからないままに投票用紙を提出しちゃったりする。
でも、普段の凡例から意識して裁判官たちの意見を聞いていると、こんなとき迷わない。
アカイでいうと、今回岡部裁判官の意見はなるほどなあいいこと言うなあと思った。
無関心ほどよくないものはないと思うのだ。
消費税があがって、8%になって、
ニトリで1万円の毛布買ったときに「10800円です」って言われて初めて、
「え、税金高くなったなあ!」と思っても、もう遅いのだ。
そうなる前の段階で、
「消費税上げようとしている党には投票しないでおこう」とか、
「小学生までは医療費無料にしてくれるって?じゃあこの党に入れよう!」
みたいに、普段からなんとなくでもいいから、興味を持っていかなきゃ。
自分たちの暮らす国のことなのに、「よくわからないから選挙いかない」とか、一番やっちゃいけないことだと思う。
そんなの全然かっこよくないし、むしろ恥ずかしい。
「自分が選挙いったところで何も変わらないじゃん」という人たちの気持ちもわかる。
でも、全然説得力ない。投票率がこんなに低いんじゃあね。
そういうことは全員選挙行ってから、言おうさ。
とりあえず。
今回の最高裁の判決の上では、夫婦別姓はまだ認められていません。
でも、きっとたくさんの人がこのことを考える機会にはなった、はず。
そう思いたいなあ。もっとアンテナはって生きよう。そんなことを思う月曜の夜でした。
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2017.10.16追記
機会ってやっぱりどんな時でも大切だとおもうから、
少しでも関心のある分野だけでもいいから調べてから選挙にいこうって思って、
パソコンの前に座って早くも2時間。
手間も時間もかかるし、めんどくさいって言い切ることもできるけど、
これをやらなくなったら本当に国について考えることなんてなる気がする。
だからやってるフリでも、考えているフリでもいいから、
それくらいのフリはできるくらいは知っておきたいっておもう。
少しでも投票率が上がりますように