読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Now I'm thinking about

心の声だだもれ日記

沖縄・慰霊の日と天才すぎるモンゴル800

慰霊の日ってどれくらいの人に認知されているのかな。6月23日は沖縄では「慰霊の日」といって、沖縄戦が終了した日とされている。この日は沖縄県内の公立学校は休みだし、公の機関も仕事は休み。県知事や首相が訪れる有名な糸満平和祈念公園での追悼式をはじめ、県内あちこちで慰霊祭が行われている。12時にサイレンが鳴ると、県民みんなで黙祷をする。何十年前のあの日に色んな思いを寄せて、忘れることのないように、今が平和であることのありがたみを感じる。言葉にするとなんだか少し薄くなってしまうような気がするけれど、そんな大事な日だ。終戦記念日として知られているのは8月の15日だけれど、沖縄県民にとっては6月23日の方が、意味のある日となっている。

と、ちょっとえらそうに書いたけれど、恥ずかしい話、ここ何年かは社会に出てからの忙しさにまぎれて、12時に黙祷しそびれて、あわてて15時ごろ糸満の方向を向いて遅ればせながらやる、なんてこともざらにあった。公の機関は休みかあーいいなあと思ったことも正直ある。うちのおじいもおばあも戦争のことは語りたがらなかったから、彼らから何かを得てそれが心に残っている、なんてこともない。戦争は、正直少し遠いものとなりつつあった。でも今年の慰霊の日は、仕事が休みだったため、朝からテレビをつけて追悼式の中継を見ていた。12時が来て、久しぶりにサイレンとともに黙祷したとき、不思議な気分になった。別に特殊な力があるわけでもなんでもないけれど、インターネットが世界を簡単につなぐように、今この瞬間に手を合わせている人たちみんなと気持ちが交わったような、そんな気持ちになった。もちろん気のせいかもしれないけど、そうじゃないと思いたいんだよなあ。

翁長知事の平和宣言は、宣言半分、言いたかったことを言ってやったようなものが半分、あの場がふさわしかったのかちょっと個人的には疑問も残るような、そんな感じだったけれど。そのあとの安倍さんとの意見の食い違いがちょっと悲しかった。

米軍基地に関しては、経済問題も複雑な歴史も政府の立場も外交問題も、いろーーーんなことが絡まりすぎて、もはや賛成とか反対とか意見を声に出しにくくなっている。でも、思うのだ。普通に考えて、「これ返すから、あれ頂戴」って、意味わかんないよなあって。小学生でもわかるよ、それくらい。問題が早く解決するためにはしょうがないこともあるとか、沖縄も恩恵を受けているはずだとか、基地問題に関しては本当に事実が絡まりすぎてて、あー言えばこう言われるし、解決策も簡単には見つからない。そんなのわかっている。そうなんだよ、そんなの分かっているさ!でもそれを分かった上で、「いやいやいや今のままはおかしいでしょう、なんとかしてよ上の人!」って言い続けていいと思うのだ、われら一般人は。変に大人な頭で「しょうがないよね、難しいしね。頑張ったけどまあ、しょうがないよね」ってわかったフリして本当は何もわかっていないのが、一番ダメなんじゃないかなと思う。

と、基地問題フリークでもなんでもない、新聞の社会面も週の半分読めているか怪しいそんなアカイですが、今日は主張してみた。いじめは反対です、いやほんとに。こんなちっさい自分の日記代わりのような場所でも、どっかで誰かが見ているかもしれないから、ということは何か変わるかもしれない。まだ己もわかったフリのところ多いから、もっと知らないといけん。そんなって思う人が増えていったら、いいのかもしれない。かもしれない大会になったけど、そんなことをぐるぐる思う。

最後に、モンゴル800のこの曲が心のにズドン。

モンゴル800 ひめゆり - Bing 動画

平和と呼ぶには遠く、歴史にするには早い。こんなこと歌で伝えられるなんて、なんていうかもう、amazing.