15分文学@AKAI

今考えてることと、15分で書いた文章を時時載せてます、それからあとは心の声だだもれ日記

俵万智さんとメイクアメリカグレートアゲイン

ハロー!お久しぶりすぎます。アカイです。


トランプ大統領が次々に革命的な決断を(悪い意味でね)下していく毎日、


彼の名前をYahoo!ニュースでもBBCでも、見ない日はありませんな。


見たいわけではないんだけどね。皮肉。



そんな彼に関する言葉の一つ


「Make America Great again(メイクアメリカグレードアゲイン)」


これがどーにもこーにも頭をぐるぐるぐるっぐる回ってしょーがない!


誰かになんとかしてほしいレベル。



ぐるぐるぐる。



でも、そうやってこのことばを何度も何度も思っているうちに、なんだかむしろいいリズムに思えてきたから不思議。



メイクアメリカ  グレートアゲイン



まあでも、よく考えたら7・7の音。


要は日本人馴染みの短歌の下の句の音数。


こんな風に気になるのもしょーがないかー。



そんなこんなしてるうちに、脳内で突然、コラボが始まった。


ラブストーリーくらい、突然だった。


しかも大好きな俵万智さんの短歌との合体。


さあ行きましょう、勝手にしょータイム。


日米首脳短歌対談。



以下、トランプ(USA代表)と俵万智(日本代表)のコラボ作品。



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その1

「この味がいいね」と君が言ったからメイクアメリカグレードアゲイン



彼を思って作った手料理。特に手作りドレッシングをかけたサラダは力作。


ライムを5個も搾ったのよ。ちゃんと、手で」


私がそう言うと彼は、すぐに指ですくってペロッと舐めた後、「いいね」なんて微笑む。


それだけで心底幸せな気持ちになった。


このソース、常備できるの?すごく好きな味だけど」


そんなこと言われたら、すぐ取り掛かってしまう。

でも、一つ問題が。

ライムって常にあるものじゃないこと。


彼のために用意したくても、ライムがないならしょうがない。


どこの国なら一年中ライムが手に入るのかしら?」


そう聞いた私にグーグル先生は、


「メキシコだね」


そう答えた。



主な原産国メキシコでは、通年を通してライムが育っているから」


と、知恵袋先輩も言う。


「グレートね」私はつぶやく。


そしてそのライムを世界で一番輸入しているのは、アメリカだった。


「あらら。壁なんてできちゃったら、需要と供給に支障がでないかしら?サワーな結果にならなきゃいいけど。」


そんなことを思いつつ、私は楽天のショッピングカートの中の決算ボタンを押す。


私が頼んだメキシコ産のライムが届くのは、明後日の15時ごろらしい。


楽天だってかなりグレートだ。



その2

私にも秘密はあると思う午後メイクアメリカグレードアゲイン



朝一番にトイレであった同僚の咲ちゃんに、



「あのね、私今社内恋愛してるの。相手?絶対に秘密にしてよ!営業の、蓮さん。そう、あの蓮さんよ!でも、みんなには秘密なの、だってあの人、フィアンセがいるから〜!」



ああ秘密があるって辛いわ~!


なんてのたまいながら出て行った彼女の背中に向かって、 


私だって秘密の一つや二つくらいあるわよ!…そうよ、あるわよ」



なんて思いながら、


「給湯室にずっと置きっ放しにされてたマイセンのカップ、黙って持ち帰ったことも秘密になるかな」


私はそんなことを考えている。


テレビではどこかのグレートなManが、当たり前のようにウソをついていた。


「そうよ、彼にだって秘密はあるわよ。なんせalternative factsなんて言ってるんだから。そんなこと言ったら私だって、蓮さんのフィアンセは実は私でした!なんてもう一つの事実作っちゃうわ。ま、そんな嘘言いつづけたところで、私もアメリカもグレートにになれるかは、はなはだ疑問だけど」



私はそんな風に悶々しつつ、


「息抜きにトランプしません?昼休みだし」


なんて隣の杉本くんの誘いに、頷いている。



その3

贈られしシャネルの石鹸泡立ててメイクアメリカグレードアゲイン


「やだ、何もいらないって言ったのに。この年になると誕生日なんて、逆に苦痛なのよ」


電話口でそうは言うものの、プレゼントというものは、いくつになってもらっても、嬉しい。


シャネルなんて、若い頃なら高級ブランドということに心が躍ったかもしれない。



でも年を重ねた今は、シャネルがどうこうということではなく、石鹸を送ってくるという行為が、


あなたとセックスしたいから洗って待っててよ」


と言われているみたいでときめく。


そして自分が今ときめいた、という事実に驚く。

ふふふ私もまだ女でいたいのね、と。


石鹸なんて下心が見え透いてる、と昔なら思ったけれど。


今は素直に、欲望の対象に見られているということに興奮する。


アメリカから届いた石鹸。


めちゃくちゃに泡を立てて、洗って待っててやろうじゃないの。


そうやって私が泡立てたバブルが再びはじける時、私たちはどうなるのかしら。


なんにせよ、私がもう一度若くなることはないし、ボディコンももう着れない。


流行りは時代が流れたらもう一度回ってくるみたいだけど、一度衰えたものが再び素晴らしく輝くのは難しい。


それでも輝いていたいから、人はバブルを作りたがるし、それを支持したがるのかもしれないわね。


そう考えたら、政治も金融もセックスも、大差ない。


そんなことを思いながら、バスタブにお湯を溜めて、


彼女の指が私を這うのを想像して、桃色な吐息を一つ。



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ああ・・・。

素敵な短歌を無駄遣いしてしまった・・・・。


妄想癖を刺激される雨の日曜日。




大好きな俵万智さんの原文はこちらからどうぞ。


http://gtpweb.net/twr/sakuhin.htm




マツコさん、「ハーフ」って言わないで。

ハロー!アカイです!

 

今更ですが、最近マツコさんにはまってます。

 

マツコさんって、なんというかすごい人だなって。どんな人と話してても、何の話題でも、自分の思いをパカーンと放つなーって思って見てるのです。そして放たれた方も、気持ちの良いダメージしか受けない。

 

そんなマツコさんの力ってのはそりゃあもう絶大で。

マツコさんが「コレいいね」言ってたからOKみたいな。マツコさんがこの言葉使ってたから真似しようみたいな。そんなところ、多少あるなって思って。

だって、マツコさんだから。

 

だからこそ、今夜はマツコさんにお願いがあって書いています。

マツコさんお願いです。

 

テレビで「ハーフ?」って言わないでー!

 

マツコ会議を見ていると、色んな一般の人がでてくるのだけれど、

「あら、ハーフ?どこのお国の方?」ってマツコさんが聞くのをよく見ます。

 

アカイの周り、友達家族同僚先輩後輩、みんな普通~に使う言葉、「ハーフ」。

でもさ、待って待って。みんな、一回冷静に考えてよ。

「ハーフ?」って、「あなたは半分?」って聞いているってことだよオイ!!!!

 

これってすごく日本の成り立ちに関わっているとは思う。

 

だって日本は島国だから、

私たちは基本的には似たような見た目の父と母のもと、自分はその二人に似たような風貌で生まれ、自分に似たような兄弟がいて、これまた何だか自分に似たような見た目の同級生に囲まれて育つから、それが当たり前になってしまってる。

だからちょっと自分と違うような見た目の人にあったとき、

「こいつなんか違う。外のやつだ」って思っちゃう。だから、「外人だ」なんていう。

 

「ハーフ」も、日本以外の、アジアじゃない国ならとくに、どこかの国にルーツがある父と、どこかまた違う国にルーツのある母が出会って、自分と似てる兄弟も似ていない兄弟もいて、それでいて家族っていうのが当たり前にあれば、みんなどこかの「ハーフ」なんだから、そもそも「あなたハーフ?」って聞く必要がない。

 

移民の国アメリカは、ネイティブアメリカン以外はみんなどこか他の国にルーツがある人たち。よって、「父はチリで母はフィリピン。僕は国籍はアメリカ」とか、「父も母もフランス出身。だから、何人?って聞かれたらフランス人って答えるけど、国籍はアメリカだよ」なんて超ふつう。

でも、そんなこと、日本に住んでいたらわからない。自分で知ろうとしない限り。要は他国で育てば自然についてくる国際感覚が、日本人には欠けているのだ!よ。(他国の定義は置いておくとしても。)

 

 

あと、マツコさん、「外人」もダメです!「外人」って、「外の人」って書くんですよ!外の人って、ちょーさびしいじゃないですか!ちょー疎外感!そもそも、じゃああなたは内側にいるんですか?内側ってどこからですか?って感じだけれども!

「あら、外人?」って。そんな出会ったしょっぱなから、名前も趣味も知らないときから、仲間はずれにしないでくださいよ!!

 

あと、「外人さん」っていう人もたくさんいるけれど!

「さん」付けて丁寧語使っているつもりかもしれませんが、「外人さん」は丁寧でもなんでもありません!辞書にも、正しくは「外国人」と載っているでしょうが!「外人さん」は敬語じゃありません!

 

きっと、漢字のわからない人には、意味はわからないかもしれない。

でも、日本に興味を持って日本語を勉強している人たちが、自分たちが普段呼ばれているこの「ガイジン」っていう言葉の意味を知ったら、そりゃーもうすごいショックだと思うんだよ!「え、初めから受け入れる気ないやん泣」って。もしも日本に20年住んでていても見た目が違えばガイジン、日本で生まれて日本で育っていても見た目が違えばガイジン。そうやって見た目だけでウチソト区別して、見た目だけで「あいつ外の人」なんて分けちゃうなんて、めっちゃナンセンス!

 

「いいじゃん。別に自分海外に出るつもりないし、特に外国人の友達もいないし」なんて思う人、たくさんいると思う。特に自分には関係ないって。でも考えてみてほしい。もしかしたら日常のどこかで、日本のこと好きとか興味を持ってくれている外国人を、気がつかないうちに傷つけているかもしれない。「あの外人さん」とか「あのハーフの子ね」って自分が何気なく言っちゃってるのを聞いて、それで傷ついている人がいるかもしれない。関係ないなんて、ない。

 

オリンピックが、あるからさ。「おもてなし」でTOKYOが勝ち取ったけど、今のままじゃきっと、全世界がちょーがっかりすると思う。なんて狭い価値観の国だって、もしくは何て失礼な国だって。もっと書きたいけど、以下略。

 

 

だからさ、マツコさん!

マツコさんから、「こう言う言葉は使わないで」ってみんなにいってください!叫

「もっと考えて使おう」って言ってくださいー!

そして、マツコさんも使わないで。。泣

 

アカイの叫びなんてちょーちいさいものだけど、ないよりいいと思うから。

ネットの軌跡が起きて、マツコさんがこれ読んでくれたらいいな。

米軍基地関係者による沖縄の女性殺害事件で考えていること

こんにちは!アカイです!今ここ沖縄では、ある事件を機に、色んな 意見が飛び交っています。それで、アカイも書くか書かないかものすごい悩んだけど、本土でどれだけ報道されているか分からないし、ちょっとでも多くの人が何か考えてくれたらいいなーと思って、書くことにしました。


今月起きた、とっても悲しい事件。
ほんとにやりきれない。
 
今までに幾度となく起きている米軍基地関係者による事件。
どの事件もやりきれなくて、どの事件も悲しい。
 
でもこれを機に今沖縄で、「またアメリカーか!また基地関係者か!」っていう熱が上がっているのがとってもとっても気になる。
 
 
悲しい事件を「使って」、別の問題を解決させる「手段」にしてないかなって気になる。
 
沖縄にいるアメリカ国籍の人たちには軍関係者が多いのは事実だけど、もちろん勉強するために留学しにきてたり、人生経験の1つとして普通に働いて(基地の外で)いる人もたくさんいる。
 
ここ最近アカイは、英語に関わる仕事と趣味が増えました。よって自動的に、大切だなーと思うヒトモノコトに、アメリカ国籍の人たちも増えました。基地の中の知り合いも増えました。
 
その人たちの中には、自分たちが基地によって持たされているマイナスなイメージを払拭しようと、頑張っている人もいるし
 
少しでも沖縄の教育や経済や環境やその他のことに、貢献できればと頑張っている人たちもいる。
 
そして、日本人だって外国人だって、アースホールからものすごく素敵な人まで、色んな人がいる。それはどこの国籍でも同じだと思う。
 
でもみんなそれを忘れて、アカイの大切な人たちが、全部引っくるめられて、「No!!!」と言われているのを見ると、やりきれない。
 
 
「こんな事件が2度と起きないように抗議しよう」
「もう軍人は基地の外に出すな」
「てかそもそも基地があるからいけないんだ!」
辺野古への移動なんてもっての他だー!」
 
 
……。
女の子の話、どこいったよ。
 
 
そうやって変な風に煽られるのを、女の子が、女の子の家族が、望んでるわけじゃないと思うんだけどな。
 
 
1つの命が亡くなってしまっただけでも悲しいことなのに、そこにそれ以上の別のものまで背負わせることないと思うんだけどな。
 
 
基地反対と言うのと、アメリカ人をむやみに責めるのって、違う話のはず。
 
事件が起きた理由の1つを絶やそうとするのは大切だけど、怒りを違う方向に飛び火させるのはちがうんじゃないかな。
 
怒りという感情は、その気持ちを誰かに向けている方も、向けられている方も、何かしら傷ついていると思うから
 
必要以上にそんなことしないでおこうよ、と思うのです。
そんなことしなくても、十分悲しい事件なんだから。
 
 
 
これが例えば、どこか他の国から来た観光客が犯人だったら、沖縄にもうその国の観光客よぶなって話になるのかっていわれたら、たぶんそれはならない。
 
 
アカイは辺野古の移設には反対です。経済やら政治やら歴史やらのしがらみ抜きにして、フツーに考えて、「アレ返すからコレちょーだい」って変だなって、思うから。
 
あと、自分たちの県の中にフツーにフェンスが建てられていて、特別な許可証がないとそこに入れないっていうのも、「?」って感じ。中からは好きに出てこれるのに。
 
だから基地があることにも反対だけど、それって「いまここにいる軍人たち」のせいじゃないし、「いまここにいるアメリカ人」のせいじゃない。
 
人は何か悪いこととか嫌なものがあると、そのことを攻める対象を作ろうとする。攻めることができるとすこし楽だし、何も攻められないことって、とっても苦しい。特にこんな悲しい事件だと。
 
でもやっばりいつだって、怒りという感情は、気持ちを向けている方も向けられている方も、何かしら傷ついていると思うから
 
必要以上にそんなことしないでおこうよ、とまた思うのです。
 
そういう気持ちを向けあう前に、女の子の魂が早く落ち着くようにみんなで祈ろうよと、と思うのです。
 
本当に、、彼女の魂がすこしでも早く安らかに眠れますように。
 
アカイ

20代後半にして相撲にどはまりした件。スモジョシへの道

こんにちは!沖縄は今日から梅雨に入ってしまいました~…。この時期の沖縄をどう表現したら全国の皆さんに分かってもらえるか散々悩み、ようやく結論が出ました。

「沖縄中のスーパーから「除湿剤」が姿を消す季節、梅雨。」

これでいいかなと思いました、アカイです。

 

さて今日はタイトル通り、今ちょうど行われている大相撲のお話です。

 

スモジョシ(これ90%はやらないね)への道。

 

そもそも日本人で、相撲を「観戦する」という姿勢で見たことがある人って、どれくらいいるのだろう。

 

「もちろんあるわ!」という方、すみません。

 

でも、ニュースでやっているダイジェストで見ている!とか、人気のあるOR強い力士を知っているよ!とかいうレベルではなくて。

 

テレビの前で、「さあこれから相撲を見よう!ワクワク」という姿勢で観戦している人がどれくらいいるのか知りたい!

 

アカイの中では、ちょっと少ないイメージ。特に若い世代が見ているというイメージはほぼゼロ。

 

もしもアカイのイメージ通りで、ちゃんと見ているのが国民の半数以下だったとしたら、今日はこう言いのです。

 

 

 

「国民のみなさん。相撲のお時間ですよ」と。

 

 

 

 

私は昨日初めてちゃんと「観戦する」姿勢で相撲を見て、なんじゃこりゃー!となりました。

 

相撲ってなんかもう、ただただ体と体のぶつかり合い。

 

 

しかも最初のぶつかり合いの衝撃は、ダンプとダンプが衝突したんじゃないかってくらいに痛そうで激しい。

 

ズコーーーーーーン!

 

間合いを取るでもなく、ファイティングポーズをとるでもなく、開始と同時にバチコーン!と、ぶつかっていく。

 

 

めちゃくちゃ勇気がいると思う、だって超痛そう。

 

というか、絶対に痛い。

 

しかもあの、スタートのタイミング。

 

ハッキリとした合図は得になくて、二人で空気を読みながら、双方が両手を白線につけたその一瞬がスタート!

 

そうなのです。あの、耳慣れた「ハッキヨイ…ノコッタ!!」はスタートの合図ではなかった・・・!

 

 

確かに、よく聞いたら両者がスタートした直後に、行事さんは「ハッキヨイ ノコッタ!」と言っている。ちょっと調べてみた。

 

 

ハッキヨイ(発気揚揚)…気分を高めて全力で勝負しようという意味

ノコッタ(残った)…まだ土俵に「残っている」、勝負はついてない、という意味

 

 

騙されていた。完全に勝手に黙れされていたよ。

ノコッタ!で始まると思ってたわ!

 

 

ボクシングや柔道のような、重さによっての階級分けはなし。

 

勝てば勝つだけランクはあがっていき、負け続けたらランクは下がっていく。

 

レベル分けもシンプルなら、ルールも超シンプル。

 

1、先に土俵の外に出される 

2、足の裏以外の体の部位が地面につく このどちらかで負け

(禁じ手っていうものもあるみたいだけどそれはおいておいて。)

 

拳で叩くのはNGだけど、張り手はOK。

蹴りはダメだけど背負うのはOK。

 

体格が大きい方が有利かと思えば、ただ大きいだけだと自分の体重をコントロールできなくてヒザが痛そう。

 

でもだからといって小さすぎると体格差でふっとばされる。

 

刀やその他道具を使わないだけじゃなくて、リアル丸腰のこのスポーツ。

 

一体いつから?どうやってはじまったんだろう。いつだって、ウラガワが気になってしょうがない病なので、調べてみたら、色々面白すぎたので以下まとめ。

 

 

 

歴史:相撲としての人と人との勝負で一番古いといわれているものは、

野見宿禰(のみのすくね)さんVS当麻蹴速(たいまのけはや)さんの取り組み。

 

 

時代的には紀元前らしい。

 

当時、「天下で一番強いのは俺だー!」と自負する男性がたくさんいて、それを機に全国で一番強いのは誰かを競うことになる。

 

そして各方面から推薦されてきたこの二人が、天皇の前で勝負をすることになった。

 

当時は土俵もなくて、蹴りもOKだったとのこと。

 

この取り組みの結果、当麻蹴速さんはなんと亡くなってしまい、勝った野見宿禰さんはこれを機に出世していく。

 

さらにのちには、「相撲の神様」として祭られることとなるのです。

 

 

え?

 

え????

 

当麻蹴速さん・・・・死んじゃったんかーーーい!!!!!

 

まじか。

 

 

 

 

 

今でも相撲の神様=野見宿禰さんだとか。

 

まさに運命の分かれ道じゃんか。片方はなくなって、片方は神に。

 

うーん真理…。

 

 

その後、地方によってさまざまな形で相撲が行われるのだけれど、五穀豊穣や子孫繁栄を願う儀式や、吉凶を占うという要素も含んでいたようで。

 

今も力士さんたちが取り組みの前にまいている塩は、当時は儀式や占い前の場の清めとして塩をまいていたもののなごりで、今は土俵の清めの意味だそうです。

 

ははーん。

 

ちなみに現在、場所中に1日の試合でまかれる塩の量はおよそ45kg、15日間では約650㎏にもなるらしい。どんだけ清めてるんだ!

 

 

行司さん:レフェリーの役目をはたしているのが行司さん。

 

スタート時、両者のタイミングが合わなかったらやり直しをさせたりする。

 

彼らも専門の人たちで、所属は相撲部屋になるらしい!

そして、行司になるためには、専門の教育があるとのこと。

 

役目は、

「残った、残ったー!」と掛け声をかけることから、

 

取り組みの最中に力士さんのまわしが緩くなってきたら邪魔にならないように締め直してあげたり、

 

さがり(まわしと一緒につけている、ヒモみたいなやつ)が取れたときにはさっと土俵の外に出したり、

 

場内のアナウンスをしたりなど、多岐に渡る。

 

というか、アナウンスも行司さんがやっていたのか!おどろき。

 

取り組み前には、力士の名前や出身部屋の情報、取り組み後には勝った方の名前や決まり手をアナウンスしているらしい。

 

(決まり手=勝負を決めた技の名前。柔道でいうと、「今のは…背負いなげですね」が、相撲でいうと「今のは…寄り切りですね」となる)

 

でも個人的に行司さんでの仕事で一番びっくりしたのは、あの新聞やテレビでよく見る、力士さんたちの名前や試合結果が書かれた「番付表」を、手書きで書いていること!

 

しかも、毛筆による手書き。

 

 

番付表って、これですよ、みなさん。

 

 

 

すごい

 

すごすぎるわ!!!!!

 

 

一番下は細かすぎて、もはや見えない!これ手書き、しかも毛筆でってやばい。

 

 

てことで相撲ですが、観戦だけじゃない面白ポイントがまだたくさんある気配。テレビでは白鵬が開始と同時に勝利しました、9日目。

 

 

さ、みなさん

 

 

 

「相撲の時間ですよ!」

 

 

 

てことで以上!

 

 

追記2016.5.22

はくほうー!!!!

おめでとーーーーう!!!!

 

ちなみに、行司さんの中でも最高ランクの人は腰に短刀を差しているらしい。

 

そしてテレビをガン見すると、最後の白鵬の試合の行司さんは、短刀差してたー!!

 

 

相撲を違う角度から見て、どハマりした今場所でした!力士さんたち、みんなありがとうー!!!

熊本から考える脳内モヤモヤ現象

こんにちは!アカイです。早速ですが、混乱しています。本当に。どうしたらいいのかモヤモヤしすぎて、なんだかまとまらない頭の整頓のために書きたいと思います今日は。

 

先月発生した熊本の地震。アカイの身近な友達もそこに住んでいたことがあったり、実家が全壊してしまったり、心がゆらぐようなことになっています。

 

被災している人々のことが気になる一方で、どれを信じたらいいのか分からないくらい情報が錯そうしていて、何が正解で何が不正解なのか、脳内がパニック。

 

連日ものすごい被害の様子がテレビで放映され、食料の不足やノロの蔓延、今すぐにでも物資を送ってほしいという情報の後に、今物資が送ってこられてもさばけないから待ってほしいという情報。

 

「待ちましょう」と

「今すぐ何かしましょう」の狭間で

どんどん更新されていく情報たち。

 

いったい全体なにがどーなっているんだよーーーー!!!!叫 

 

て感じ。

 

 

個人のTwitterやFace bookから発信されたもの、それをシェアして拡散するもの。

 

ITってすごい。すごいけど怖い。なにがどうなっているのか、何を信じていいのか、材料はたくさんくれるくせに、あとは自己判断でよろしくね(ハート)って感じで。

 

材料があまりにも多すぎて、人の足を止めさせているのもまた事実。

食料や生活必需品を送ろうという動きを、今はそれよりお金がいいらしいという情報が鈍らせ、今すぐ助けに行こうという動きを、逆に大手の支援先の交通手段を妨げるからやめた方がいいらしいという情報が足止めして。

 

結局どれだけの人が正しく動けたのかな?

 

恥ずかしい話、アカイは足がすくんでしまいました。

 

何かしたい!

でも何かしたい気持ちでガーっと動くことが、逆に迷惑をかけてしまうのでは?という気持ちに負けてしまった。

 

錯そうする情報の量に負けてしまった気がしているのだ。…めちゃくちゃ悔しい。

 

この事態に乗じて、儲かろうとたくらむ人が出てきていることも悔しいし、災害って本当に人間は無力だと感じて悔しい。

 

神様、いるかどうかわからないけれど、怒っているのか、それとも苦しいのか。

同時にエクアドルでも起きた地震。地球の反対側同士を揺さぶって、崩して、いったいどうしたんだろう。

 

分からなくて、悔しい。そしてきっと、熊本のみんなは、アカイの何倍も何倍も悔しくて、何倍も何倍も苦しいはず。

 

それに対して我たちは、何ができるのか・・・。

そうやってぐるぐる考える横で、

 

「いやいやあなた一人に何かできるなんて考え、そもそもエゴですやん。もう考えるのやめて、専門家にまかせておきなよ」

 

とささやいてくる、シラン・プーリ。

 

そしてまたどんどん更新されていく、どこまで事実でどこからウソか分からない情報。

 

それを見てまたぐるぐるさせられて悔しい。見なきゃいいとかそういうことじゃなくて。感じることをやめたら、終わりだと思うから、シラン・プーリに飲み込まれるのだけは避けたいよ。

 

そしてもうひとつ心が痛いのは、震災支援の関連情報たちに寄せられている批判的なコメントたち。

 

行動するということは、行動しないということの何倍もすごいと思うのです。

 

行動しなかった人が、行動した人に、「だからやめて置けばよかったじゃん」なんて、言っちゃいけないと思う。

 

心で思うのと、言葉に出したり文字にして世に出したりするのは、全然違う。よね。

 

なんてまだ色々ぐるぐるしているけど、今日は一歩目として熊本の友達に連絡をしてみようと思います。シラン・プーリなんかに負けない。でおきたい。以上!

新学期!学校へ行きたくないっていう子の気持ちを忘れない

はろー!アカイです!

今日からほどんどの小学校が新学期OR入学式を迎えているでしょう!

 

アカイが小学生だったのはもう15年以上前…。くう~あの新学期のはらはらドキドキした気持ちを思いだ……あれ?もうなんだか思いだせない!汗 

 

なんて、式服を着て通学していく子たちを見ながら思ったのです。

 

記憶を頑張って手繰り寄せていくと、新学期って、学校行事の中で一番ナーバスだったなー!!!!と、思い出した。

 

心の中は、?でいっぱい。

新しいクラス誰がいるかな?仲良しの子は一緒のクラスかな?先生誰だろう?

 

不安と期待は8:2くらい。完全に不安の方が強かったなあ…。

 

大人になっちゃうと、

 

「明日から新学期だねえ、○年生になるんだね。楽しみだねえ!」

 

って当たり前のように言ってしまうけど、子どものときのアカイは

 

「楽しみは楽しみだけど…心配の方が強いわ!分かってないいなあもう!ふんっ」

 

って思っていたような気がする。

 

だから、新学期の前日に、「明日いやだなあ…」とか、

新学期の朝、「学校行きたくない…」とか、言う子がいたら、

 

「何言っているの、早く行きなさい」

 

という前に、

 

「緊張するよね、わかるよ」

 

って、一言言える大人になろうと思うのです。

 

背中を押すのも大人の仕事だけど、分かるよって言ってあげるのも大人の仕事と思う。

大人って仕事多いなあ。でもしょうがいない、大人だから。

 

去年の夏休み明けだったかな、とっても素敵なTwitterが話題になっていたのだ。

確か、鎌倉かどこかの図書館のつぶやきだったと思うのだけれど。

 

「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、図書館においで。漫画もあるよ、ずっといても誰も何も言わないよ」

 

みたいな内容だった。

これは、夏休みあけの子どもの自殺率が上がることをうけて、居場所に図書館もあるよっていうメッセージだったのだけど、とっても素敵だなあと思った。

 

学校って、とっても狭い。

小さい教室に大人数でぽんっと入れられて、いやな友達がいても、いやな先生がいても毎日顔を合わせる。

 

一度クラスが決まれば、一年間は環境を変えられないし、逃げようにも逃げられない。

 

みんながみんな、学校が楽しいわけではない。大人だって一緒だ。

 

職場の環境がつらかったら行きたくないし、憂鬱になるし、病気になってしまうこともある。

 

新しい職場に変わる時は、緊張するし不安もたくさんある。

大人も子どもも同じようなことで不安を感じるし、いやなものはいやだ。

 

ただ、大人は何度か回数を重ねた分少しだけ強くなっているから、

自分の力で緊張とや不安と戦える。

 

でも、子どもは

「わお!なんか緊張するし不安…もう行きたくありません。Give up涙」

となることもある。

 

そりゃあそうだ、経験値不足ですもの。

でも、大人になるとそのことを忘れてしまったりするよなーって思う。

 

小さかったとき、いやなことがあって、

 

「絶対こんなことする(こんなこと言う)大人にならない!」

 

って思ってても、実際に大人になったら忘れてしまって、

 

「あらやだ私今、あの時なりたくなかった大人になってる!?」

 

ってうぎゃー!となることってたぶんある。

だから、「あ、やばいやばい忘れてた!」と今日思ったのです。

 

不安と期待が8:2の新学期だったことを。「緊張するよね、分かるよ」って言って欲しかったことを。

 

少しでも多くの子が、早く慣れて、楽しくなるといいなあ。

だって、学校って割と楽しい。

 

先生たちって、めちゃくちゃ頑張っていつも楽しませようとしている。

毎日通う場所は、誰にとっても大切なところだから、少しでも気持ちがいい方がいいよなあ。

 

みんな生きていて、みんな心があるから、みんなつらくて、みんなうれしい。

 

うれしいことがたくさんありますように。ふんっ(気合い)。以上!

Where are you from?って聞かないで。

へいアカイです!

 

今日はこのあいだ見たTED Talkの話。

タラエさんという作家が話し手だったのですが。

 

今回彼女のトピックは、人はよく「どこの出身ですか?(where are you from?)」と聞くけれど、この質問って…。

 

というものでした。答えは、「Japan」「Australisa」「America」と、もちろんそれぞれ。

 

ですが、中には「私はアメリカで生まれたけれど1歳の時にカナダに引っ越して、10歳のときには日本に移って、その後フィジーに行って、今はドイツに住んで15年目になります。」なんていう人ももちろんいる。

 

こんな場合、「どこの出身ですか」という質問の答えはとても困る。

 

「生まれたのはアメリカだけどアメリカのことはほとんど覚えていないし、家族とは英語で話すけど日本語もドイツ語も話せて、どちらかというとドイツ語を話してる方が私はリラックスできるから、ドイツ出身。」

 

なんて答えても、

 

「え、でもドイツは住んでいるのが長いだけ?ですよね」なんて言われたら、、、

 

それもそうだ。そうしたら、じゃあ私はいったいどこの出身なのだろう。となる。

 

タラエさんも、今までたくさんの国に住んでいたことがあり、

 

Where are you from?」と聞かれたら、戸惑うと話していた。

 

そうでなくて

 

「あなたのローカル(地域)はどこですか?」

 

と聞いて欲しいな、と。

 

住んでいる国、環境やその場所の文化は、人が大人になるときに多大な影響を与える。

 

自分自身が、あの地域からは多大なる影響を受けている!と思う地域があれば、自分の根っこはその場所にあると思う。

 

イコール、「私のローカルは○○です」って、言う方が、しっくりくる、と。

 

確かに!!!!!

 

 

言っていることすごく分かる。

 

 

そもそも、どうして人はこの質問をするのかな。

 

  1. 相手との共通点を見つけるため。
  2. 相手のことをもっとよく知ろうとするため。
  3. なんとなく形式的に。

 

 

ううーーーん。①と②はまだ理由としてはグッドな気がするけど、なんか③が多いような気もする。

 

何か話さなきゃ…で、なんとなく「えっと、どこの出身なんですか?」みたいに。

 

この質問って、そんな風にさらっと聞くと、色んなものを知る機会を逃しやすい、もったいない質問なんだろうなあ。

そもそも、この質問の意味を人はあまり深く考えていないんだろうけど。もちろん自分も含めて。

 

 

アカイは日本生まれ、日本育ち。多少海外にはいたけど1年程度。今回このタラエさんのような意見はカケラも持ってなかった。

 

周りのみんなのほとんどが、アジアにルーツを持った人たち(もちろん主には日本人)だし、どこの出身?と聞かれても大概は県単位の話。

 

でも、今回思ったのです。日本でだって、新しく知り合った人と会話していて、「出身はどこですか?」という話になれば、同じように戸惑う人がいるだろなって。

 

 

「(うーん生まれたのは北海道だけどすぐその後家族の仕事の都合で全国点々としていたからなあ…今は千葉のはしの方に住んでも10年近くだから、気持ち的には千葉出身なんだけど…千葉っていってもまあ活動範囲はほぼ東京だから、)東京です!」

 

って言う人もいるかもしれない(千葉ごめんなさい)。

 

または、熊本で生まれて小学校までは沖縄にいて、そのあとずっと大阪にいる人がいるとして。

 

その人としては、友達も沖縄の人が多くて、文化も風習も言葉遣いも沖縄式の方がしっくりくるけど

 

「沖縄出身です」

 

といえば、「え、それって出身っていわないのでは?」と言われるとして。

 

 

じゃあ、出身ってなんやねーん!出身聞くなよー!

 

って思うと思うのです、そしてそれって悲しいよなあと思う。

 

ももし、「私のローカルは沖縄にあります」という答えができるなら、「なるほどなあ」とみんな思うと思うのだ。

 

 

小さいことではあると思うのです。

質問なんて、どうやって聞いてもいいじゃん!と思えばそこまでなんだけど。

 

でも、そんな小さいことにでも興味もって変えていけば、もっと面白い大きなことが知れるかもしれないから、やっぱり小さいこともアンテナ貼っていきたいなと。そんなことを思ったのでした。

 

世界って広いなあ。てか、日本って小さい。もっと外みて、色んなものに対して、これって何かな?あれって何かなあ?てやっていかないといけな。

 

TED Talk最高。

 

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