15分文学@AKAI

今考えてることと、15分で書いた文章を時時載せてます、それからあとは心の声だだもれ日記

今一番客観的にニュースを報道している媒体ってなに?

書けるときに書いておこう、そうしよう。アカイです。

今週は次の仕事が始まるまでの、社会人人生初の無職週間。満喫しております。

普段ほとんどテレビを見ず、ラジオやポットキャスト派なんだけれども今日は久しぶりにテレビをつけてみた。

朝のテレビって不思議だなーなんでこんなくだらないエンタメに時間を費やすのか。誰と誰が別居してたとか、路上でちゅーしてたとか、復縁したとか、浮気の過程とか、そんなことを延々とやっている。延々と。って、どーでもいいけれど、「延々」って言葉を考えた人天才だなって個人的に思うのです。「延々:長く続くさま」えんえんって、本当になんだけずーっと続いてくような、そんな印象がある。えんえん。と、それはおいておいて。あとは、料理に関することとかも多い。こうやって切って味付けするとほら5分でお弁当のおかずが!じゃーん!みたいな。いや、いいんです、いいんですけれども…きっと見てる層と内容がマッチしているから成り立っているんだと思うので。でも、それでも、もっとなんかがんばってよテレビ局!と思ってしまったのです。

むむむなんかニュースが見たいと思って今度は新聞をめくってみる(沖縄は新聞社は2つしかないので、基本的にはどの新聞を読むかは二択)と、今度はなんだか片寄っているような気がする記事も多い(今は基地問題など毎日のように一面の取り上げられている)。いったいどうやったら客観的に日本や世界のことを知れるんじゃー!?

ってことで、頑張ってBBCとかABCとかすらっすら読めるようにもっと頑張ろうと思う。

世なのかの事にもっともっと敏感でいたいけど、そう思えば思うほどハテナにまみれてく。ううーんfucked  up。どうしたらいいんだーとりあえず日経でも読むかー

全ての人にhava a god day

将来の夢はなに?と問われること

 

what's up? アカイです、こんばんは。

 

今日は沖縄では入学式を迎える小中高がたくさん。小学校の入学式なんて、もう20年くらい前の話なので記憶があるといっても断片的ですが、不安でいっぱいだったな。

 

担任の先生がことあるごとに言う、「正座」というかけ声。私の通っていたカトリック系の幼稚園での正座とは、両足を折り曲げて床に座り両手をひざの上において目をつぶる状態だった(これをひざまづきというのは沖縄だけ?)ので、先生はなんで今椅子に座っているのにまたこの上に正座させるんだろうと思いながら椅子の上で私の知っている正座をしていて。結局先生の意図していた正座は、椅子に普通に座った状態で背筋を伸ばして両手を膝の上におくことだったのだけど、私以外の子はほとんどみんな普通にできてきて、はじめて会った隣の子に「まちがってるー」と指摘されて、死ぬほど恥ずかしかった。(同じカトリックからきている子はクラスに私一人だった。超マイノリティ。)

 

そんな座り方一つで大きく戸惑うくらいの年齢の時から、私たちがよく聞かれてきたことの一つ。「大きくなったら何になりたい?」「将来の夢はなに?」

特に、卒業式や入学式、誕生日など節目の日にはよく聞かれる。時には大勢の人の前で発表しないといけないこともある。あらめて考えると、ものすごい質問だなーと思うのです。今同じ質問をされたオーバー20の成人が、どれだけこたえられるでしょうか。ううーん考えたくない。。そもそも、大きくなったらってどれくらい?何歳くらいから?そもそも夢ってなに?パンやさんです、とか宇宙飛行士です、とか言えば、おおーって喜ぶのはそれを問いかけた大人だけな気がする。「まだ分からない」と言えば、ほら何かあるでしょうといわれ、あれはどう?これはどう?こういうのなんかいいんじゃない?と勧められた末に選んだ「じゃあ、先生になる」というと「さすがね~将来楽しみだね」なんてやりとりが交わされる。その夢は、もはや夢なのか。いやきっともう本末転倒の気しかしない。

そんなこんなやりとりは節目に幾度となくあり、中学3年で高校を選ぶとき、高3で進学するか就職するかを決めるときなど、大きな顔をして必ずまたあらわれる。夢はきっと、ある程度の希望とわくわくを伴って、自分の可能性を広げるはずのものなのに、手持ちのカードの中から答えが探せないときはこんなに追いつめてくるものかと、ぐぐぐ。。となったなーと振り返り振り返り。

 

夕方のスーパーで、「卒業式のときは言えなかったけど、今日はちゃんと消防士になりたいって言えたからハンバーグにしようね~」と買い物をしていた式典帰り風の親子を横目に、何になりたいかを問うより、なれるものがこんなにたくさんあるということを大事にしたいと思うそんな夜にだ。

文字おしゃべりby myself

 ども、アカイです。

 2015年になるときに、今年は3つ何か新しいことを始めると決めました。

ということは平均して、4か月に1回ペース。ふむ、簡単そうに見えるけど、

まったく新しいことって結構色々悩むのだ。

それでもなんだかんだで、4月から新しい仕事に就けることになったたので、1つ目はクリア。2つ目を何にしよーかなーと決めあぐねていたのです。

そんなとき、家庭教師の生徒に公民を教えていて言われたこと

「先生、国民審査ってダメと思う裁判官には×を書くんだよね。イイネと思ったときは○を書かなくてもいいの?」

ふむ、そーか。そーだよね。イイネには○しなさい、ダメなら×しなさい、分からなかったら空白でいいですよ、ならわかる。それなら一般的なテストでもよくある。

でも国民審査って、空白=イイネというルール。ということは、なんだか「この人、認めるよ?いいよね?おっけいしとくね?」みたいに、イイネ前提でことが進められてる気がする。それってなんだか違和感MAX。モヤっとした。

そんな風に、「ま、それはそれか」ってさらっと流すことができることを、あえて残しておくのはなんだか価値があることにような気がしてこういう形で2つめの新しいことを始めることにしたのです。

ということで、うにげーさびら。(よろしくお願いします)

akai